中3の頃

中3の春、両親が別居した。
ケンカが絶えない夫婦だったけど、その日は何となくいつもと様子が違っていた。私は本能的に危険を察して、寝ている妹を起こし、荷物をまとめるように言った。
案の定、母が来て「出て行くから荷物まとめなさい」と言った。真夜中だったけれど母はタクシーを呼び、私と兄と妹を連れて叔母の家に逃げ込んだ。

2日後くらいに、叔母の家に父親が来て土下座していた。でも母は許さず、叔母も帰れと言っていた。
しばらくそこで暮らしたけれど本当に居心地が悪かった。
母はなぜだか我が物顔で叔母の家に住み着いており、私はそんな図々しい母が恥ずかしくてたまらなかった。
叔父に「全然笑わない子だな」と言われた事があった。こんな状況で笑えるわけがなかったけど、とてもその言葉がショックだった。私はそれまで、わりとひょうきんで明るい子だったので、そんな事を言われたのが初めてだった。自分はきっと、どんどん暗い人間に変わっていくのだろうと思った。

1ヶ月ほどして、叔父に「うちも、いつまでもいられたら困るのだけど…」とやんわりと言われ、顔から火が出るほど恥ずかしかった。それを聞いた母は「あんな事言われるとは思わなかった!なんて冷たい人だ!」と怒り狂っていたけれど
そんなの迷惑に決まっているし、1ヶ月ほど何も言わずに居候させてくれた叔父さんはむしろ優しい人だと感じた。
母はやっと引っ越し先を探して来た。
叔母の家から徒歩5分くらいの、ものすごいオンボロアパートだった。トイレは和式だし、部屋は3つあったけれど、ふすまで仕切られているだけの古い作りだった。
 
そこで家族4人の生活が始まった。
母は「私、ずっと料理屋さんで働きたかったの!」と言い、ススキノのカニ料理屋で夕方から深夜まで働くようになった。
私は夜働く母がいやだった。なぜなら妹がまだ小さかったから。
私自身はもう中学生だけど、妹はまだ幼なかったから、母親が毎晩不在だというのが可哀想でならなかった。 
制服が和装で、ウェイトレス同士が下の名前で呼び合い、客からチップを貰うこともある、とかいう話を聞いて、なんか水商売みたい…という嫌悪感もあった。
美人な母は、それを鼻にかけて「なんか私ばっかりチップ貰っちゃうから…ね…困るわ」などと喜々として話しているのも気持ち悪かった。
私は生活が激変し、家事や妹の世話に追われているのに
母はなぜ男からチップを貰った話を嬉しそうに話すのか理解ができなかった。

ある日、私が学校から帰ると
妹が家の鍵を忘れたらしく
薄暗い中、家の玄関戸のまえで小さくなってしゃがんでいた。
「おねえちゃーん」と言って泣き出した妹を見て、私は猛烈に母に対して怒りが湧いた。
仕事から帰ってくるのを待ち、どうか昼間の仕事をして欲しいと懇願した。
鍵を忘れた事と何か関係あるの??と言われた。
いや、ない。
でもお母さんが夜働いていると妹がさみしがるから、昼間の普通の仕事をして欲しいと言った。
母は、そう…わかったよ、と言ってすぐに事務の仕事を見つけてきてくれた。
その後何度も「あんたが私の仕事にまでケチつけるから大変だった」と嫌味を言われたけれど
母が昼間の普通の仕事をしてくれるようになって、私は心から安心できたのであった。