闘うやりまん

普段から出会い系サイトで男漁りをしていると

「僕がムラムラを解消してあげますよ」

みたいな書き方のお誘いをいただくことがあります。
非常に上から目線のような物言いになってしまい恐縮ですが、完全に女性の買い手市場である出会い系においては見ず知らずの女性を誘う上でもう少し文面に気を使えばいいのにと思ってしまいます。

前述のような誘い方をすると結局女性のほうからお願いする言葉を言わねばなりませんが、女性であるということだけで日々誘いがどんどん来る中、一体どれほどの人がこちらから男性に対して会って欲しいとお願いをするだろうか…と疑問です。多分殆どいません。
どれほどいい男であっても言葉のニュアンスひとつで返信すら貰えません。もっと相手が返信しやすいような、そしてスマートなお誘いメールを書いたらいいのに…と思ってしまいます。

なぜ男性がこんな書き方をするのかと考えてみると
こういう男性は少しでも女性よりも上の立場でいたいという気持ちがあるのではないかと思います。
そして自分はセックスにより相手女性を絶対に満足させられる!というような傲慢な思いがあるのではないかと。それが透けて見えてしまうと途端に興醒めしてしまうのです。

そして昨日、この事に関連した非常に興味深いメールを女性からいただきました。

『突然なんですが、あなたが言ってることの中で、「速攻ホテルに行きたい」というのがめちゃくちゃわかります。変に高い食事ご馳走されて借りを作りたくないし。。
すでにセックスしててなかよしならともかく、見も知らない相手に話すことなんてないし、聞きたいことなんてねーよ!!と思ってしまいます。
今日というかさっき、24時半ごろ、アダルト掲示板の「すぐ会いたい」に投稿してた男性と何通かメールして会ってきたんですが、対面して早々「どうする? 何かしたいことある?」って言われて、言わずもがなセックスに決まってるよ~~女にホテル行きたいとか言わせないでくれ…と思いながら、「なんでもいいですよ」(=ホテルでいいですよ)と言ったら「飲みにでもいきましょうか? ○○(飲み屋)とかすき?」と言われて、しょうがないから痺れを切らして「ホテル行きたいです」って言ったんですよ。
そしたら若干びっくりされて、「そうかそうか、そういうときもあるよね。なんかさみしかったのかな?」と言われて、手差し出されてしまい(繋ごう的な)、いやさみしいとかじゃなくてこちとら純粋におちんぽがほしいんだよ!!会ったばっかの知らない男と手なんか繋ぎたかないよ。。と思って、歩いてる間も特におもしろいわけでもない身の上話をされて、セックスしたい欲が薄れて結局帰ってきてしまいました。。』

やりまん女性が見ず知らずの人とセックスをしたい時、もちろん人それぞれ思いは違うと思いますが本当に単にやりたいだけの場合が多いんです。むしろ勘違い男性が考えるような精神的な結びつきが欲しいとか恋人ごっこをしたがっていると思われたんじゃ、やりまんのプライドはがたがたと崩れる落ちてしまいます。自分の意志でセックスをしている、という事を軸にしなければやりまんはセックスできません。

ですがそのセックスをする上で
女性は身体的特徴により受け身の立場になってしまうのですが、やりまんにおいては絶対に受け身ではいたくありません。それはプレイ内容のことではなく、もっと深い精神世界において、男性と平等でありたいという強い気持ちからきています。

男性がその気持ちを汲むことなく「そうかそうか、君は寂しかったんだね。どれどれぼくの優しさで満足させてあげるよ」という勘違い甚だしい傲慢な態度を取ってしまうと、メール主のように途端に気持ちは覚めてしまうのです。

お金の対価としてセックスをする割り切り女性に比べ、タダで知らない男性とやりまくるやりまんは「なぜセックスをしたいのか」という境界線が非常に曖昧です。その殆どが生育歴に起因しており、忘れたい過去であるため自覚が難しい。性欲が強いとか男性脳であるとかいう陳腐な言葉では決して説明がつきません。過去、男性不信に陥るような何か強烈な体験をし、それでも絶望することなくやり場のない思いを昇華するために、男性に対してある種の期待を持って不特定多数とのセックスを繰り返します。
やりまんは簡単に股を開く便器、というレッテルを貼られてもなお、たったひとりで過去の自分と対峙し続けるフェミニストであるとわたしは思うのです。