一人暮らしを始めた日

19歳の時、何があったのか。
それは両親の復縁だった。

母子家庭の生活はそれなりに大変だったけれど、でも私は今まで感じたことのないような安心感を得ていた。
母と、妹と、わたし。女3人の暮らしは、慎ましいけれどとても自由だった。
男の人がいると、どうしてもご飯とみそ汁とおかず、みたいなきちんとした食事を用意しなければならない気がするけど
女だけであれば気楽なもので、父親がいる時には滅多に外食などできなかったが、今日はお蕎麦でも食べに行こうか、とか、朝食は面倒だからケーキにしちゃおうとか、そういうことが多くなった。そんな自由な食事が私にはとても新鮮だったし、楽しかった。
母が六花亭のポイントを集めだしたときには、もう夢中になりすぎて冷蔵庫が六花亭のお菓子で埋まってしまい、そんなことですら父がいればあり得ないことだったので、とても私は幸せを感じた。お母さんハマりすぎでしょ、と冷蔵庫を開けるたび3人で笑い合った。
そして私達のために懸命に働く母の姿はとても頼もしかったし、有難いと思った。この恩を返すために、私は一生母のそばにいようと決めていた。

なのに、少しずつ父が私達の生活の中に現れはじめる。
私はもともとお父さん子で、お酒さえ飲まなければとても優しく、子煩悩な父に兄妹の中で一番懐いていた。夏は海、冬はスキー、天気の悪い日は区民プール、家の中ではテレビゲームやトランプなど、とにかく時間の許す限り子どもと思い切り遊ぶ人だったし、非常に頭がきれて才能あふれる父のことを尊敬していた。
だから、本当は、もし穏やかに暮らせるのならば復縁は私にとっても悪いことではなかったのだ。
でもその時の私は、それを母の裏切りだと感じた。

私はどうしても納得ができなかった。
何もなかったかのように、元に戻るなんて、絶対に許さないと言った。
裏切り者!卑怯者!偽善者!結局金なんでしょ?汚ない女だね、と罵る私を、母は悟ったような顔で見つめ
「あんたも大人になればわかるよ」と言った。
それは私のことを非常にバカにした物言いで、許せなかった。
私が命をかけてでも守ると決めたのに「もうそんなのいらない」と突っ返されたような気持ちだった。

もう私は何も出来なくなった。
お母さんのためにも、妹のためにも、家のためになることは何もできない。というか、そもそも必要とされていない。
私は突如として、家の厄介者に成り下がった。
学校にも行かなくなり、家事もせず毎晩遊び歩くようになった。

私は学校を休学し、一人暮らしをすると宣言した。母は好きにしなさい、と言った。
そしてアパートも決め、あとはもう出て行くだけという状態になったのだけど
なぜか私はなかなか出て行くことができなかった。
なんとなく、なんとなく先延ばしにして、家に居座っていたのだけど
母に「一体いつ出て行くのさ?」とイライラしながら言われ、やっと決心がついた。
多分、止めて欲しかったのだと思う。
また、頼りになるおねえちゃんになりたかったのだと思う。でももう無理だった。
妹がのちに「学校から帰ってきたら、おねえちゃんがメモ紙に、出て行きますとだけ書いて、それっきり音信不通になった。あまりに唐突で衝撃的だった」と笑い話にしていたけど、それくらい私の一人暮らしは準備不足で不安定に始まった。
19歳。お母さんに必要とされないのならば、ひとりで生きていくしかなった。