育った家

私の家庭はいわゆる機能不全家庭だった。父親は酒乱で、母親はヒステリックで、兄は意地悪で暴力的だった。
常に誰かが殴り合い、暴言を吐きあい、物が壊れ、誰かが泣いている。家の中はめちゃくちゃだった。小さい頃からそれが日常で当たり前のことだった。

そして
私は19歳になるまで
これらの揉め事の原因は自分にあって
自分が家族を壊してバラバラにした張本人であるという自責の念に苦しんでいた。
誰かにそう思わせるように仕組まれていた。
みんなが小さい私を、生贄にした。

私は19歳になるまで
家の中ではとてもいい子だった。
手伝いもよくしていたし、妹の面倒もよくみたし、明るくひょうきんで、みんなを笑わせるような子どもだった。
両親はのちに離婚したけれど、献身的に母親を支えた。両親や祖父母の伝達係のようなこともしていた。できることは何でもした。私が尻拭いしなければならないという使命感があった。
全ての揉め事はわたしのせいだから
もし命をもって償えるならば死にたいとすら考えていた。

あの時、母が私にしんでほしいと頼んだのなら
確実に、喜んで死んでいたと思う。
それほどまでに私の罪悪感、自己否定感は強かった。母親は私から、いちばん大切な、尊厳を奪ったのだと思う。
私の命はとても軽くて、価値のないものだった。

19歳から、体を売りはじめて
本当の意味でゴミのように扱われたとき、自分は生きているのだと実感できた。
私があのあと生きていくためには
どうしても必要な過程だったのだと思う。