生きている実感

生活は荒れていたけれど、相変わらず生きる目的を探し続けていた。
納得できないことはしたくなかった。何をやるにもいちいち理由が必要だった。

その頃私は、恋人が途絶えることがなかった。いつも誰かと恋愛をしていて、それは結婚を前提とした真剣なものだった。私は地球の存続と子孫繁栄のためという理由から真剣に恋愛をしていた。
でもやはり風俗から抜けることができなかったし、普通のアルバイトをしてもそこで大抵セフレを作ってしまったり、ナンパでついて行ったり、とにかく自分では把握できないほどの人数と回数のセックスをしていた。
その頃から、実は自分は病気なのではないか?というふうに考えるようにもなった。依存体質ではあるけれど、ここまで不特定多数とのセックスをしなければならない生活というのはどう考えてもおかしい。
私は自分を便器のように扱うときだけが心安まるときだった。自分がゴミのようだと思える瞬間は、生きているということを確信できた。生きている、生きていてもいい、と自分に言い聞かせていた。
私は常に細い境界線の上を、どちらにも落ちないように、ソロリソロリと生きていた。